今回は、江東区の各所を電車とバスを乗り継いで巡る、いつもとは違った趣向のウォークでした。
新木場駅に集合し、まず、夢の島公園に向かいました。 夢の島について、年配の方は「ゴミの島」のイメージが残っているかもしれません。現在は、素晴らしい緑の公園に変貌しています。夢の島の歴史について、よろしかったらこちらをお読みください。
まず、夢の島公園の中にある「第五福竜丸展示館」を見学しました。
第五福竜丸は、ビキニ環礁での水爆実験で被災した後、改造されて、しばらく東京水産大学の練習船として使われていましたが、1967年(昭和42)に廃船となって、夢の島に廃棄されました。それを知った市民が声を上げ、1976年(昭和51)東京都により展示館が建てられました。
第五福竜丸が被災した水爆の威力は、広島の原爆の1千倍だったそうで、そのような実験が大気中でおこなわれていたことに驚くとともに、人間の浅はかさを感じないではいられません。
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展示館の外には、第五福竜丸のエンジンが展示されていました。
説明板がありました。こちらをご覧ください。
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展示館から夢の島熱帯植物館に向かいました。植物館の入口近くにマルバデイゴの赤い花が咲いていました。夢の島は海に近いためか、南国情緒を漂わせる樹木が多く植えられています。
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熱帯植物館に入りました。
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熱帯らしい植物をいくつか紹介します。
これは、サガリバナです。
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こちらは何でしょう。調べてみたら、パキスタキスと言うらしい。中南米原産の熱帯性の花木です。別名、鬱金珊瑚(ウコンサンゴ)とも呼ばれます。
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植物館の前庭で昼食をとりました。 ハロウィンのなごりがまだ残っています。
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前庭に植えられているオリーブの木を良く見ると、実が成っていました。
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新木場駅に戻って、JR京葉線で越中島まで行き、そこから歩いて、門前仲町の深川不動尊をお参りました。
深川不動尊の始まりは、江戸時代に、成田不動の「出開帳」がここで開かれていたことによります。明治になって、成田不動の分霊を祀り、「深川不動堂」が建てられました。正式名称は、「成田山 東京別院 深川不動堂」です。
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その隣は、富岡八幡宮です。「江戸最大の八幡様」です。
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富岡八幡宮参道の入口近くに、伊能忠敬の像がありました。隠居後にこの近くに住んでいたそうです。
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ここから、地下鉄とバスを乗り継いで、最後の目的地は、「東京大空襲・戦災資料センター」です。当センターは、東京空襲の資料をまもり、戦争の体験を語り継ぐための民間の施設です。早乙女勝元氏が初代館長を務めました。
ここでも、戦争が人間が人間を人間として見られなくなる恐ろしさに、やるせない気持ちが募りました。
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