今回は、武蔵五日市の自然を楽しみながら、「五日市憲法草案」ゆかりの地を巡るウォークでした。

「五日市憲法草案」は、明治14年に深澤権八と千葉卓三郎らが中心となって起草した私擬憲法草案です。昭和43年に、当時東京経済大学教授であった色川大吉氏らによって、深沢家の土蔵から発見されました。「司法、立法、行政の三権分立が明確に規定され、国民の権利に多くの条文がさかれているなど、自由民権思想に溢れた非常に民主的な内容であり、他の民間草案の中でも屈指」だということです。

武蔵五日市駅の北側から北西約3kmのところにある「深沢家屋敷跡」に向けて歩きます。あきる野市のホームページにガイドマップがありました。ご覧ください

武蔵五日市駅の近くから、「深沢家屋敷跡」の近くの「深沢小さな美術館」まで、森の妖精ZiZiが案内してくれます。

ここから「深沢小さな美術館」まで1本道、植物観察をしながら歩きました。
クリの花はまだ蕾です。ひょろっと伸びて咲くのは雄花。雌花は葉の付け根にあってあまり目立ちません。

ところどころにZiZiがいて、案内してくれます。

ヤマグワの実が赤くなってきました。

ウリノキの花が咲いていました。6枚の花弁が反り返り、雌しべと雄しべが飛び出していて、ユニークな形です。

スギの、雌花と雄花と実が1本の木に同時についていました。 花は今年の残りか来年の準備か、実は昨年の残りか。何だかよく分かりません。

クリかなと思う木に虫こぶが沢山付いていました。 ネットで調べたら、「クリタマバチ」の虫こぶのようです。以下は、ホームページの記載引用。かなりの厄介ものらしい。
「クリタマバチは戦前に日本軍が中国から持ち込んだクリの木について来たものとされ、クリの新芽に卵を産み付け、幼虫はふ化すると新芽の中に潜り込んで虫こぶを作ります。虫こぶはクリの雄花や雌花がつくところにできるので花が育たないので栗の実がならず、クリの農家にとっては恐ろしい害虫なのだそうです。
クリタマバチを撃退する方法として、耐性品種や防虫剤が使われましたが、十分な効果が無く、今は天敵のチュウゴクオナガコバチを中国から導入して放虫して効果を上げているようです。」

丁度中間地点の穴澤天神社で休憩です。

深沢小さな美術館」に着きました。ZiZiが出迎えてくれました。
深沢小さな美術館は、造形作家の友永詔三氏が、小さな古民家を自身の手で改築した、手作りの美術館です。カフェが併設されていて、ゆっくりくつろげます。
美術館を見学して、カフェで昼食をとりました。

木の枝にモリアオガエルの卵が泡のように付いていました。 下は、大きな鯉が泳ぐ池です。おたまじゃくしの運命やいかに。

友永詔三氏は、NHK連続人形劇「プリンプリン物語」のキャラクターを製作したことで有名です。

「深沢家屋敷跡」は、ここから歩いてすぐです。 ここの土蔵から「五日市憲法草案」が発見されました。
説明板がありました。こちらをご覧ください
母屋は、小金井市の思耕園に寮として移築されたそうです。写真がありました

白い小さな花が木の枝に咲いていました。カナメモチのようです。

ここからは、元の道を戻ります。
途中にセッコクが咲いているのに気づきました。 生えている木の幹に付いているのは、初めて見ました。

中学校の校庭の端に「五日市憲法草案碑」があります。
説明板がありました。こちらをご覧ください

向かい側の市役所五日市出張所の入口には、萩原タケ女史像があります。
萩原タケ女史は、この地で生まれ、日本看護婦協会初代会長を務め、第一回フローレンス・ナイチンゲール記章を受賞した、郷土の偉人です。

五日市出張所の3階には郷土の歴史について展示があります。
見学してから、「五日市勧能学校跡」に行きました。
勧能学校は、明治5年の学制発布に伴い、五日市村に作られた学校で、現在の五日市小学校の前身です。今は、東町太子堂があるだけで、面影はありません。
説明板がありました。こちらをご覧ください